キリストを通して与えられる力-聖霊

使徒言行録1章3-6節

今日は、使徒言行録からイエス様が復活された後、40日間にわたり、多くの人々に復活の事実を証明された後、天に昇られ父なる神の右の座に座られた聖書の箇所から学びたいと思います。
キリストの昇天とその後の、弟子たちが聖霊を授かる箇所は、ルカ福音書と使徒言行録に詳しく書かれています。このルカ福音書と使徒言行録の著者はルカですが、彼は医者であり、使徒パウロの地中海伝道に同行し、使徒パウロの行動を一部始終見聞きして記録しました。そこにマルコ福音書を書いたヨハネ・マルコが使徒パウロの地中海伝道に加わり、マルコはペトロの弟子でもあったので、ルカはそのマルコから福音書の素材を教えてもらい、再編集したのがルカ福音書です。更にその続きにルカは使徒言行録も書きました。
ヨハネ・マルコはバルナバのいとこでしたので、パウロがこのマルコを引き続き地中海伝道に加えるかどうかバルナバと論争になった時、マルコと別れましたが、後に、得意でないギリシャ語で福音書を記した最初の人となりました。ルカは学識者ですから使徒言行録で、どのようにキリスト教の福音が異邦人教会で広められたのか、福音書からの接続部分を含めてギリシャ語で丁寧に記しました。
実は正直に申しますと、イエス・キリストの復活の後の昇天、そして弟子たちが福音宣教を開始した聖霊降臨の出来事に至る経過は、ルカ以外に聖書では書かれていません。ここの部分は神学的にもエアポケットで、牧師もあまり説教として取り扱いませんし、私も長年、この部分は、福音書の間でもキリストの昇天記事がちぐはぐで、ルカが使徒言行録の初めにその接続部分を記したことにより、幾つかの手掛かりを得ることができます。まず、弟子たちが実際に福音宣教を始めるためには、ある程度の時間が必要だったと言うことです。

使徒言行録では復活から昇天まで40日間、昇天から聖霊降臨まで10日間、合計50日間の時間が必要だったとルカは示しました。聖霊降臨祭をペンテコステと呼ぶのは、ギリシャ語で数字の5を意味するからです。アメリカの国防省の建物をペンタゴンと呼ぶのは五角形の形をした建物だからです。聖霊降臨祭にはキリストの復活の出来事から50日目と言う数字的な意味が隠されております。1週間が7日間でそれが7週過ぎると49日間で完全数。そして1日を加えると8回目の日曜日が次の新しい7週間のサイクルが始まる訳です。つまり、つまり出エジプト記34章22節に書かれているように、この50日目が小麦を蒔き、その収穫を祝い初穂を捧げることを命じた五旬祭というお祭りが規定されており、使徒言行録20章16節ではパウロが五旬祭にはエルサレムに帰りたいと記されているところから、早い段階で、復活祭とこの五旬祭が、聖霊降臨祭として初代教会で結び合わされた記念日として理解することができます。
聖霊降臨祭ということは、復活と昇天の出来事を通して、弟子たちはイエス様の生前の教え、そして十字架の死の意味、またそこから復活されたキリストに出会い、今までの信仰を省み、神の救いのご計画を信じた時に、復活のイエス様を証する使徒として聖霊を授かり、福音宣教を開始すると多くの信者が与えられたのです。
つまり、福音宣教とは、人間の力や能力ではなく、イエス様が約束した聖霊の力、イエス様の復活の力の注ぎによって、一人一人が復活のイエス様を証するクリスチャンとして立ち上がることであり、その準備期間が50日の意味です。生前のイエス様の伝道は限定的でした。一人一人がキリストの霊を宿して福音伝道を広めることが、キリスト教会の始まりですが、それがイエス・キリストの昇天による、福音の大宣教命令です。よく言われる譬えに、月は一つしかありませんが、桶の水の中には一つずつ月が写っていて、100の桶があれば、その桶の水には100の月が写っております。一人一人にキリストの復活の力、聖霊を宿すことによって、今度はイエス様の手足となって、救いの福音を宣べ伝える、これが救われた私たちの使命であり、喜びなのです。そこでもう一度4つの福音書の最後の部分がどのように締めくくられているか見てみましょう。

最初のマルコ福音書では、イエス様のお墓は空で、甦えられたイエス様はガリラヤで弟子たちにお会いになると、そこで終わっています。私たちが今、読んでいる9節以降の残りの部分はかっこで括られており、その部分は後の加筆で、そこに主の宣教命令と昇天の記事が付加されているのです。
マタイ福音書はユダヤ人のユダヤ教から回心したクリスチャンが著者ですので、マルコ福音書の足らないところを補強して、ユダヤ教クリスチャンのために、甦られたイエス様は、弟子たちにガリラヤで出会い、そこで弟子たちの前で天に昇られたと記しています。
ルカは異邦人教会の出身ですから、ヨハネ・マルコから生前のイエス様の話を聞き、復活の主は生前ガリラヤで復活について話されたが、復活のイエス様はガリラヤではなく、エルサレムを中心に現れ、主が昇天された場所は、ベタニアに近いオリーブ山だと書き、マルコとマタイとは大きく異なって来るのです。ベタニアのオリーブ山とは、イエス様がエルサレムに来た時に、いつも寝泊りしていた場所、弟子たちも一緒に様々な教えを学んだ場所です。そうすると昇天の場所が福音書同士で食い違うのは、どちらかが間違いかと考えるのではなく、マタイとルカでは、主の福音宣教の命令をどこで聞いて始まったのかという判断の食い違いを意味していると思われます。
その証拠にヨハネ福音書は、ギリシャ人やローマ人のために書かれましたので、イエス様の復活の出来事はエルサレムだと書き、21章以降では、ガリラヤでの復活の出来事を書き加えてどちらも正しいとし、その代わりに主の昇天の記事は無いのです。何故なら、ヨハネ福音書にとっては主の福音宣教の大命令は、まさにエペソであったり、コリントであったり、場所はもう関係ありません。つまり、どこで復活の主に出会ったにせよ、キリストを信じる者は、まったく新しい弟子としてリバイブされた時に、その場所から主の福音宣教の大命令を受けたのです。
私は神学生時代、アメリカにわたり最初にテキサス州のダラスで大学に入るための準備をしました。特に大学院に入るためにはTOFLEという試験で最低550点以上点を取らないと入学できない。その準備の期間、ダラス第一バプテス教会に転会して毎週の礼拝をそこで守りました。そこにはクリスエルという有名な牧師が、毎週礼拝でメッセージを語るのですが、五千人位入る大きな教会堂を持ち、毎週、毎週、礼拝には30名近くの信仰決心者が与えられる。52週だと1年間で約1500名の信仰決心者が与えられ、それが10年、20年と続くわけですから、あっという間に1万人、2万人の信徒数になり、まかないきれなくなり、町の真ん中にある教会が狭くなり、移転しないで近隣のビルを買い取ることにして、7つのビルを所有し、テレビ放映も設置して各部屋でも礼拝を持つことができるようにしました。つまりこの教会は、ダラスの地で、復活のキリストから福音宣教の大命令を受け、毎週が聖霊降臨日のような教会でした。このように聖書にある最初の教会に勝るような教会が、現代にも存在するのです。それは別に珍しいことではありません。私は、ブラジルのユニバーサル教会を20年前、訪れたことがありますが一教会から100万人の教会となり、礼拝人数を数えるのが10万人単位です。韓国でも何度か訪れた教会は国家議事堂の近くに、大きな教会堂を建てて70万人の信徒を生み出した教会があります。現在、アメリカには1万人以上の信徒を有するメガ教会が400以上あります。ただ、日本の殆どのクリスチャンは興味をもたないだけで、だれでもその気になれば、実際に礼拝に出席することができます。日本の教会は、自分たちの教会を見て、伝道は数ではなく、質だと言う方がおられますが、もし福音を正しく語り、証すれば、多くの人々が信じ、多くの人が救に与ることができることは、海外の教会を見れば確かなことです。今、私たちの常盤台教会は、毎週、信仰決心者が与えられていることは、本当にこれは感謝なことです。イエス・キリストが約束された復活の力、聖霊によるもの神の恵みよるものです。イエス様はしばしばパン種のたとえ話をされました。悪いパン種はパリサイ人のパン種で誤った教えで、良いパン種は神の国を拡大するパン種です。律法主義を排除して、神の恵みを証して、自由な気持ちで救いを広めましょう。
ヨハネ福音書の14章の12節を読みますと、
「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業をおこなうようになる。わたしが父のもとへ行くからである。私の名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。私の名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
イエス様の働きを担うことは、素晴らしい恵みに与ることです。それは神様が最初に私たちを愛し救ってくださいました。その愛を知る時、私たちも、他の人々にその恵みを与えることは、更なる喜びとなるのです。そうすると更に恵みが注がれ、不思議が起こり、私たちももっと豊かになるのです。アメリカの教会で、福音を宣べ伝えて貧しくなった教会はありません。丁度、弟子たちが、イエス様の御名で伝道すると悪霊まで従ったと大喜びの報告をしましたように、不思議が起こるのです。なぜならイエス様は復活の力をくださるのですから。使徒ペトロは病人を癒し、死人を生き返らせ、イエス様と同じ聖霊の力が与えられ、数えきれない恵みと豊かな実りが与えられたので、それが五旬祭を聖霊降臨祭として守るようになった初代教会のはじまりでした。このようにして、全く次元の違う感謝の信仰生活が始まるのです。皆様の中で、本当の神様の愛と恵みに触れたいと願う方がいますならば、復活のキリストにリバイブされ、準備を致しましょう。またもし主イエス・キリストの救いを信じたいと願う方は、バプテスマを受け、共に主の救いと恵みに与る者となりましょう。皆様の上に、父と主イエス・キリストの恵みが豊かにありますよう、祝福をお祈りします。

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