新年の挨拶

新年の挨拶

主にあって恵みの年でありますようお祈りします。
神様は、創造主で、私たちを愛し恵まれる方です。主の導きを祈ります。
しかしながら、現実は正しく把握しなければなりません。
今回のコロナ感染は、1918年から1920年に起こったスペイン風邪と背景は非常に類似していて、丁度100年目の2020年にコロナが発生したことは、大きな教訓だったと思います。当時のスペイン風邪はヨーロッパとアメリカで発生し、瞬く間に日本にも上陸して2年間で45万人亡くなったそうです。当時の日本の人口は6千万人として数えると90万人近くが亡くなった計算です。またその時、第1次世界大戦も起こっていて、一説には軍隊の兵舎から発生したのではないかと言うことです。世界人口の4人にひとりの割合で約5億人に感染しました。更にその第一次世界大戦のさなか、ロシアに共産主義革命が起こり、無神論を唱え、このころから20世紀の暗い歴史が幕開けをします。ただアメリカだけは経済が好調で、あまりも有頂天になった10年後に、ニューヨークの株が一気に暴落し、今度は、世界恐慌が全世界を覆います。そして物価は上がり、食料、燃料も欠乏し、日本はそれらを打開するために、軍国主義の道を歩み、第2次世界大戦へと進みました。
歴史はまた繰り返すのか、どうなのかは、私たち時代の責任でもあるわけですが、意外と100年前のスペイン風邪を語る人は、110歳以上でないと記憶がないので、殆どの人はすっかり過去の教訓を忘れてしまっているのが現状でしょう。
ただ、不思議なことにこのスペイン風邪の1年前に、ポルトガルのファティマという田舎の町に住む10歳ぐらいの少年と少女3人が野原で羊の世話をしているときに、マリア様が現れてお告げを告げるという奇跡が起こり、ファティマの奇跡、ファティマの大預言といって、大騒動になった事件がありました。カトリック教会では、正式にこの出来事を少年少女に現れた啓示として承認し、奇跡が起こった所に記念堂と礼拝堂が建ち、カトリックの三大巡礼地になっております。私もその地を10年前ぐらいに訪れたのですが、野球場が3,4個入るぐらいの大きな広場に立派な礼拝堂が建っています。そしてそのファティマの預言の内容も公にされましたが、それはもう一度、世界大戦が起こること、火で燃え上がる地獄の様子、そしてロシアが悔い改めて共産主義国家をやめること、最後は絶対に公表されなかった秘密の預言は教皇がいつか暗殺されるという内容でした。
始めは誰もこの預言の信憑性を信ぜず、懐疑的に受け止めていたのですが、世界恐慌が起こり、そして第2次世界大戦も起こり、原爆が落とされ、冷戦時代の終わりに共産主義が崩壊し、教皇ヨハネ・パウロが暴徒に拳銃で撃たれたことから、預言の信憑性が高まり、危篤状態から、一命をとり止めた教皇ヨハネ・パウロ自らこの預言の大切さを認め、ファティマに出向いて記念のミサを挙げたということです。私は、ある出版社から、ポルトガルをテーマにしたポルトガルの「ファティマ」について4年前に原稿を書くように頼まれ、執筆して、本が出版されましたが、日本では殆どの人が、このファティマのことを知りませんし、注目をしていません。知る人ぞ知る内容です。
本はポルトガルと提携して漁業をしている荒井商事が、ポルトガル特集の雑誌を発行した折に、ポルトガルの宗教、音楽、サッカーを紹介する記事の中で、「ファティマ」を紹介しました。希望者は、書籍早川工房まで。

国政報告会

1月27日(金)のお昼に衆議院議員会館で国政報告会がおこなわれました。今回は金子道仁国会議員が出席されました。オリーブの会によりますと、統一地方選挙立候補予定者の17名の名簿がリストアップされております。党派を超えて、クリスチャン議員が輩出するように祈り支援しましょう。

宗教研究の機関紙

毎年、私の知人であり、先生でもあります、間瀬啓允氏から「宗教研究」の機関紙(慶應宗教研究会)を送付いただいております。昨年はジョン・ヒックの生誕100年、没後10年を記念してNHKでの宗教の時間で間瀬氏のインタビューが放送されました)。私と間瀬氏との出会いは、40年前に遡り、私がアメリカのベイラー大学で英国の宗教哲学者ジョン・ヒックの本にであったことから始まります。ジョン・ヒックは英国国教会の聖職者ですが、神の存在に対して実証主義をもって研究された方で、キリスト教は、神をキリスト教という宗教性で覆っているけれど、神は宗教性を超えた存在なので、他宗教へ一早く寛容主義(正確に言えば平等主義)を示された神学者でした。時代はイラク戦争前でアメリカではイスラム教への十分な理解なしにイスラム教を敵視した時代です。ヒックが言うには、神の存在は、何をもっても人間の理性では主張、証明できない。ただ信じると言う行為は、「信仰の理性」というものがあって、信じて行動した結果、良い実を結ぶなら、その結果がその信仰は本物だと証明できるという信仰による実証主義を説明したのです。信仰を理性の道具としての実証論です。この実証論によるとキリスト教の場合、キリストの供与する愛を信じる行為が、神の存在を真なるものとして証明を与えているならばそこに愛の神が存在すると言える・・・このような解釈を致しました。極端に言えば、そのような神を信じることができるならば、何々教という宗教、宗派は外見上のことであるという立場から、そのような良い実を結ぶ信仰を容認し、宗教の多元主義を説きました。日本ではキリストの救いは唯一、キリスト教の絶対性なので、他の宗教を容認することはよろしくないということで、一蹴された神学です。
私は帰国後、日本人でジョン・ヒックを研究している唯一の人物が、慶応大学で教鞭をとっておられる宗教哲学者の間瀬啓允氏(現在は引退)であることを知り、訪問しました。彼はオーストラリアでジョン・ヒックの研究をされ、また個人的にも直接、ヒックから指導を受けた先生でした。その後、ご一緒に「もう一つのキリスト教―多元主義的宗教理解」(The second Christianityの和訳 絶版)を、1989年、日本基督教出版局から出版しました。当時、殆どジョン・ヒックがまったく知られていない時代です。彼は私の留学生時代、カリフォニア州でクレモント大学院の宗教部長をしていて、私も直接、出向いて、面会に訪問したことがあります。寡黙な研究者タイプの先生で日本へはその後、2度ほど来られ、彼の講演会が開催されました。私は当時、現職のキリスト教の牧師で布教活動が任務でしたので、それ以上の研究には参加できませんでしたが、後に日本聖書協会の総主事という役職に就き、全世界のキリスト教派と共に働くことができたこと、また日本基督教協議会でも議長として日本の諸宗教(仏教・神道)と協働の機会を持てたこと、また世界宗教者平和会議の日本委員会の評議員として参加できたのもジョン・ヒックの神学の背景を持っていたからです。
彼の宗教多元論は、キリスト者はキリスト教を他の宗教と同じだと言っているのではなく、自分はその宗教を信じていても、他の人が違う道で救いを求めて信じているのなら、それを平等に容認しあうことを求めているのであり、頑なに自分の信仰の枠に閉じこもり、相手の立場を認めない人間の罪の有様を指摘しているのです。そしてこの40年の間、ヨーロッパでは多くの民族と多くの宗教を受け入れた多宗教が共存する社会が構築されるようになったのです。その先駆者、立役者がジョン・ヒックという人物です。彼の神学は、日本では作家の遠藤周作にもっとも影響を与え、「深い河」の小説の動機となったと言われています。サマリヤ人がユダヤ人を助けたイエスの教えは、まさに宗教を超えたところの神の愛でした。
似たような考え方にアメリカの伝道者にダグラス・コウ(2018年死去)という方がおり、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」をスローガンにキリスト教を布教するのではなく、イエスの教えとして、イエスの愛を宗教に問わず、仏教、イスラム教、ヒンズー教の人々と共に、隣人愛と世界平和を目指す運動を過去40数年活動された方がおり、世界中のネットワークを通じて主に政治家や企業家がそのメンバーに加わっています。

常盤台バプテスト教会礼拝メッセージ

1月29日(日)に常盤台バプテスト教会の礼拝にて、説教原稿を掲載します。YOUTUBE動画は「常盤台教会 渡部信」で検索してくださると1月29日以降ご覧頂けます。

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