2022年4月3日 常盤台教会礼拝
ルカ18章31〜34節
コリント第二11章23節〜28節
今日の日曜日は教会暦ではイエス・キリストが十字架への道を歩まれたことを、覚える受難節の第5主日礼拝となります。これは春分後の最初の満月から近い日曜日をキリストの復活日、イースターと定めることによって、毎年、受難日が異なるため、今年は4月15日金曜日が受難日となり、17日の日曜日が死よりよみがえられた復活日、イースターとなります。更にこのレントの期間の計算は、受難日ではなく、イースター日を基準として40日前に受難節が始まり、それを四旬節と呼ぶのですが、難しいのはその間の日曜日は計算から省くので、実際は46日間となってしまいます。これは4世紀の教会によって定められのですが、この期間、クリスチャンはキリストと共に受難の意味を深く思いながら祈りながらすべてに自制した生活をすることが趣旨となります。しかしながらそのレント前に、お祭りをして楽しもうというのがカーニバルで、キリスト教を知らない人には、その方がむしろ反対に有名になりました。が、これは本末転倒で、この十字架の本当の意味が判らないと、復活祭も信じられません。何故なら復活とは、イエス・キリストが私たちのために十字架にかかり、全人類の罪を贖い、罪の力に勝利した出来事です。罪の力は最終的に滅びであり、勝つことはなかった。この受難節があって、初めて私たちは復活祭、イースターを喜んで迎えることができることを感謝しましょう。
普通、聖書の受難物語を読み、頭だけで理解していると、そこにある真理が薄れてイメージ化してしまいます。私は今まで、過去五、六回、イスラエルを訪れる機会がありました。何回、出かけても2、3日の訪問では、なかなか地理が頭に入りません。しかしながら、幾度となく訪問しますと、おおよその地理的な感覚が分かってきます。そうすると、聖書の話がとても現実味を帯びて来て、まだまだ回りきらない場所がたくさんあり、さまざまな興味がわいてきます。大体、新約聖書に書かれた地理は100キロメートルから200キロメートルの範囲に収まるぐらいの狭い場所です。関東地方をもう一回り大きくした範囲ですから、どこに山があって、海岸があって、ヨルダン川はどこで、そしてガリラヤ湖と死海はここという具合で、旧約聖書時代とも重なってきます。新約聖書にはあまり死海は出て来ませんが、海抜下400メートル下がった地球上でも非常にユニークな場所にあり、その海底400メートルと同じ所にヨルダン川が流れているので、おかしな場所だとおもいます。他より気圧は高く、酸素濃度が一番、濃いところではないでしょうか。そして反対にエルサレムの街は、海抜標高1000メートル上のなだらかな丘の上にあり、冬には雪が降ることもあります。この高さは軽井沢と同じ高さでしょうか。
そのイスラエルの国の中のエルサレムで、イエス・キリストが十字架にかかり、死んだ後、墓に葬られ、甦られた場所は、紀元400年ごろ特定され、そこに教会堂が立てられました。聖墳墓教会と呼ばれており、そこへ行きますと、実際に十字架上で血を流され落ちたと言われる石に触ることができ、弟子たちが亡くなったイエス様の体をきれいにし、お墓に納めたと言われる場所も教会堂内にあり、絶え間ない巡礼の信徒が必ず訪れる場所です。あまりにも教会堂の中の一か所に収められているので、ここがゴルゴタと呼ばれた場所なのか想像ができないほどです。観光用として、別な場所をゴルゴタの丘と呼んだり、納められたお墓はここだと紹介本にありますが、何ぶん、ユダヤ人がその地から追放された後、さまざまな民族が住み続けた場所で、イスラム教がその地を長年、占領していましたし、それを十字軍が取り戻したり、最近まではパレスチナ人の土地でした。イエス様が伝道されたのは2000年前のことですから、発掘すると地下から何重の遺跡が出て来て、未だに物事は定かではありません。それでも紀元400年ごろ確定した教会堂が一番信頼性が高いと信じられている訳です。神殿や、総督の家、城壁の門はそのまま残っていますので、このエルサレム市街のどこかであることは間違いありません。
一番、感激することは、映画や絵画で見るのとは違い、イエス・キリストと言う方が、本当にこの世に来て、このエルサレムの街の場所で、十字架にかかり血を流し死に、その遺体をお弟子さんたちがきれいに洗い、墓に葬ったという場面がリアルに実感できるということです。神の真理の道を説き、その真理をのべ伝えたゆえに、人々にあざけられ、ののしられ、軽蔑され、十字架に磔の死刑となるという出来事は、本当に悲しいことであり、母親のマリアにとっては胸が裂けるような悲しみだと思います。巡礼者のために軽い木でできた十字架を実際にかついで、ゴルゴタの丘までの道のりを歩く人たちに出会うこともできます。
新約聖書によると、イエス様の受難は、突発な出来事ではなく、既に3年目の伝道生活に入る前から、自分は、最後に、エルサレムで人々に捕まり、迫害を受け、死ぬことを弟子たちに告げました。でも弟子たちにはその理由が分かりませんでした。もし、神の真理、正義を貫けば、それを良しとしないサタンの勢力が働き、その人を抹殺しようとする。それがこの世の罪の力なのです。この世の罪の力が働きますと、人々はおじけついてしまう。アメリカのリンカーン大統領もずばり正しいことを彼が主張すると面白くない人々がいる。ケネディ大統領も、いまだ真相は隠されていますが、平和を愛する人がいると面白くない人がいる。黒人解放のキング牧師も、非暴力運動で黒人解放運動を始めましたが、いつか自分は暗殺されると思いながら運動をしました。サタンの力は正義を説く人が少数者の内は安心です。でもその人たちが本気になると歯をむき出しにし、其の人を抹殺しようとします。これが世の中の人々の心の中で画策される罪の力です。戦争を喜び、それで利益を得る人たちはいつも背後で暗躍しまう。宣教の働きも拡大しようとすればするほど、サタンの力も働き始めます。イエス様はこの恐ろしい罪の力に対してみずからの神の義を十字架上で啓示することによって、闇は光に勝つことはない、滅びの運命であることを実証されようと、自ら十字架の道を歩まれました。
「今、私たちはエルサレムに上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭を打ってから殺す。」
このイエス様の発言は、マタイには3回、ルカも9章22節と13章32節に同じように度々、弟子たちに話されていて、弟子たちにはそれが理解できなかった。これは明らかに、礼拝の最初に読まれたイザヤ書53章の「苦難の僕」と呼ばれる有名な箇所で、苦難の僕は「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは、わたしたちの痛みであったのに。わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって 私たちはいやされた。わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。っわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる子羊のように 毛を刈る者の前に物を言わない羊のように。彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。」
長い引用でしたが、これほど素晴らしい旧約聖書の箇所はありません。作者は、預言者イザヤではなく、無名の作者で第二イザヤと呼ばれる人物、或いはそのグループで、この箇所は「イエス様はご自分を預言したものとして、取られたのです。おそらく旧約聖書学者にすれば、第二イザヤと呼ばれる無名の預言者がいて、その人の生きざまをその弟子たちが記したと取っています。第二イザヤは40章から59章までその預言が記されていて、旧約聖書の最高峰ともいえる神理解の内容があり、全部音読しても価値ある個所です。2000年前の聖書が死海の洞窟で発見されましたが、イザヤ書が一番多く残されていて、新約聖書への引用もイザヤ書がもっとも際立っているのはその理由です。
ただ、ここには復活の記述がない。さらに「彼は自らを償いの捧げものとした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。」とか「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。」と書かれて、ここの箇所のイザヤ書は、苦難の僕を彼と呼び、一人称のわたしが、神の視点から書かれていながら、わたしたちのためとなっており、また彼らの罪を負ったと言う具合に、それを3人称に振り向けており、非常に、この第2イザヤが、彼なのか、わたしなのか、わたしたちなのか、判断できなのです。でもイエス様はこの彼こそ自分だと理解されたことは新約聖書の今日の聖書の箇所でははっきりと分かるのです。そして第二イザヤ書にない三日目の復活まで言及されている。
日本語の平安時代の「いろはにほへと・・・」を7文字ずつ綴ると末尾が「とかなくしてしす」と読めることを江戸時代に発見した人がいて、内容は仏教思想ですが、これを発見した人が、赤穂浪士47名が47文字の「いろはにほへと・・」を用いて暗号として使ったと言う言われもあります。これは罪のない人が自らの命を落とし償いをするという意味ではキリスト教と通じるものがあるかもしれません。
しかしイエス様の場合は、命をかけてサタンに勝利しましたが、それはサタンに支配された人を赦し、救うために十字架への道をあゆまれた。イエス様は父なる神から遣わされた神の御子であられた方なので、罪のない方ですから、自分のためではなく、罪を犯した全人類のために一度死に、そして復活することが定められた。そこが最高位の大祭司が、自分と自分の民の罪のために捧げものをすることとの違いです。彼は初めから神であり、それで人の姿になられた。それはなぜか、私たちと同じ死を経験することによって、私たちを天の国へと導く救いの道を備えてくださるためであり、この世の殉教者と違う点です。
イエス様は言われました。私はよみがえりであり、命である。私は信じる者は、決して死なない。たとえ死んでも生きるのである。あなたはそれを信じるか。しばしば、「私は死んだ人がよみがえるなど信じることができない」と言われる方がいます。イエス様を信じない人には復活顕現はないのです。イエス・キリストは信じる者に、イエスは甦りの体を顕示されたのであり、そのお弟子と、その教えに従う者にご自分を現されたのです。コリント第2の手紙には、お弟子さんたちとその教えを信じる500人の人たちにイエス・キリストはご自身を顕わされたと記されている通りです。しばしば、キリスト教神学者の中にも復活を信じない人がいて、愛を貫いたイエス様の姿が、死んで墓に葬られた後でも、幻のように見えたのではないかと真面目に説く人もいます。これは間違いです。気をつけてください。聖書はそのように書いてない。イエス様は初めから神と共にあった方です。
マグダラのマリアが復活のイエスに出会ったと言ってペテロに告げたのですが、一番弟子のペテロさえそれを信じることができなかった。幻覚でもみたのだろう。でもイエス様の手の釘の跡、脇腹の槍の跡を見、そしてペテロがガリラヤ湖で取った魚をイエス様が食べたとなるとそれは幻覚ではなく、現実世界で起こった超現実の出来事なのです。人には同じものを見ていても、何も見えない人と、そこに現実に起きてしまう出来事を見ることのできる人と二通りあります。なぜならそこに生きた神の命を見るかどうかです。だからイエス様が初めから神であったと信じられない人には復活はないのです。私たちが復活を定義することはできないし、復活とはイエス様だけがご自分を顕現できる父なる神ご自身だからです。
天国は激しく襲われているとイエス様は語りました。これをどう理解するのかと言えば、それはサタンによって攻撃を受けているということではありません。今や、サタンは敗れ、キリストが真の神であり、真の救い主であり、真の贖い主であると信じる人々によって、毎日、毎日、神の国へと信仰の歩みが続けているという意味です。皆さんはその一員としてめされたのですから、これからの信仰の歩みが益々祝福されますようにお祈りします。